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ここでは私の簡単な自分史を披瀝します。「プチこもり挑戦記」に、より共感と親しみを持って頂けるようになったら、とても嬉しく思います。しかし・・・さすがに恥ずかしいです。こっそり(?)読んで下さい。
■ページなび
最初からいきなり自慢みたいになってしまいますが、私は中学校までは成績優秀・スポーツ万能・品行方正で学校でトップクラスの優等生でした。小学校くらいまでなら「神童」と呼ばれていたほどです(明らかに大げさですが)。
あっ、引かないで下さいね。ここにすでにプチこもりへの萌芽があるんです。そこがお話したいトコロです。
少年期に自分に変な優越感・プライドを持ってしまうのは不幸である、と私は思います。つまり、私はこの時代に自分が何だか人より優れているらしいと認識してしまっているのですが、このことが後に他人との接触を困難にする要因のひとつになるだけでなく、自分の扱い方にも戸惑うという状況を生み出すのです。
これが具体的に私をどうプチこもり的にしたか、ひとつ、お話します。
私はもう何年も故郷である神奈川県に帰っていません。家族にも会っていません。少なくとも少年期には神童とまで言われ、将来を嘱望されていた人間です。意識はしていないつもりなのですが、やはり潜在的には自分は優秀な人間だという「刷り込み」がなされているのでしょう、28歳にして無職な自分なんて、晒すことは到底できないのです。家族にも近所の人にも友人にも会わす顔がない、とどうしても思ってしまうのです。
もちろん、そんな考えが下らないものであることは百も承知なのです。にも関わらず、少年期に身に付けてしまった考え方・感性というものは、現在も私に影響を及ぼし続けています。私を故郷から遠ざけ、家族や友人との交流を妨げ、確実にプチこもりへと導いています。
あなたにも現在の自分を形作っている、幼年・少年期の特徴があるはずです。実際に紙に書き出してみると面白いですよ。ぜひやってみて下さい。
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度々自慢みたいになって申し訳ないのですが、中学時代、「長」の字が付くものはたいていやりました。学級委員長からサッカー部の部長(下手だったのでキャプテンにはなれず)、生徒会長と、様々な役職?を経験しました。もちろん自慢したくて取り上げたわけではありません。この一見華やかな中学時代は、私のプチこもり的性格の形成に決定的な影響を与えるのです。
結論から言えば、齢12〜15にして、人間嫌い・人間不信に陥りました。そしてそれは、現在まで基本的に変わっていません。
人の上に立つとロクなことがありません。(これは大人の世界でも同じだと思います。)何をどうやっても全ての人を満足させることなんて出来ませんし、褒める言葉よりも、貶す言葉の方が圧倒的に多く耳に入ってくるものです。たかが部長や生徒会長ですが、やはり精神的なプレッシャーは相当なものでした。その苦労を挙げたらキリがないくらいです。まあ、私が人の上に立つ器ではなかったというだけの話なのかもしれませんが。
(余談ですが、その辛さから逃避するためにやたら恋に憧れていたりしました。常に恋をしていたような気がします。・・・思春期真っ盛りですね!)
お世辞を言われ、陰口を叩かれ、妬まれ、勘違いされ、責任転嫁され、・・・。ああ、人間ってこういうものなんだ。もう、いいや。・・・そうとうグロッキーでしたね。
もちろんそんな私にも友人はいますし、恋人もいます。それでも、基本的な人間観は中学の時に培われて、現在に至っています。やはり多感・敏感な年代に身に付けた物の見方がその後に与える影響は計りしれないものがあります。論理とか意識よりも奥深いところに根を張っているようです。
あなたにも頭では分かっているけれど、どうしてもそれとは違うふうに捉えてしまうものはありませんか?やはり紙に書き出して見ることをオススメします。自分の奥底にあるものを探すのは、骨が折れますが非常に楽しいものですよ!
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神童と呼ばれ、生徒会長だった私ですが、高校では完全に落ちこぼれます。自分が井の中の蛙であったことを痛感させられたのです。学区内外の中学校のトップ10くらいの人間が集まる進学校です。そりゃぁもう凄かった・・・。何だコイツラっていうくらい周りに優秀な連中がいるわけです。
しかし落ちこぼれたことで、私は楽になりました。自分が優秀な人間だという幼い頃からの下らない自惚れも、ここでは感じなくて済みましたし、人の上に立つようなこともなくなったので、ストレスもなくなりました。友人や担任にも恵まれて、人間嫌いの私でも随分心地よく学校生活を送ることができました。
それなのに、登校拒否になります。
理由はきっと幾つかあるのでしょうが、私が一番悩んでいたのは「勉強する意味」だったように記憶しています。
うちの学校は大学進学率が100%です。ですから周りは何の疑いもなく受験に意識が向っています。でも私はそれが引っかかって仕方がなかった。たぶん高校に入学するまでは意識して勉強したことがなかったせいかもしれません。試験のためだけに時間を割くという感覚が私の中には育っていなかったのです。
一度考え出すと、どんどん深みに嵌っていきました。
なんで紀元前のヨーロッパの勢力図を頭に入れなきゃならないのか?
化学式が私の悩みを解決してくれるのか?
微分積分なんて、私の人生にまったくもって必要ない!
というような勉強自体への批判からはじまって、イイ大学→イイ会社→イイ家庭という決まりきったレールに対する疑問、そして人生って何なんだ?という究極の問い。とにかく色んなことが頭を駆け巡って、高校なんてどうでもよくなってしまったのです。学校の授業が私の疑問に応えてくれないということだけは、分かっていましたから。
そこで当時の私は読書と思索(なんて言える程のシロモノではありませんでしたが)に耽るようになりました。
朝、「いってきます」と学ランを着て普通に家を出るのですが、学校には行きません。そのまま市立図書館に向かいます。そこで借りた本を持って向かう先は、とある河原に架かる橋の下です。そこで本を読み、考える。そんな日々でした。
調子が良いときは普通に学校に通えるのですが、不定期に発作のように登校拒否症状が出ました。私の場合はお腹が痛くなりました。学校には連絡することもあれば、無断で休んだり、遅刻・早退をしたりすることもありました。
私にとって幸いだったのは、担任がなぜか親に連絡をしなかったことです。そして親も通信簿を見なかったため、欠席・早退・遅刻の数を知らなかったこと。もし両者が私を問い詰めてきていたら、「確実に」私は自殺していました。これは当時も自覚してましたし、今振り返ってみても確信があります。ただ、今だからこそ気付くこともあります。たぶん、担任も親も私のそんな精神状態に感付いていて、あえて触れなかったのではないか。・・・これは今だに謎のままですが、そう考えないとオカシイです。
自殺なんて言葉を使ってしまったので、ツライ高校生活だったように思われてしまうかもしれませんが、前述の通り、基本的にはストレスや歪んだ自尊心から解放されて、友人にも恵まれた、楽しい青春だったんです。あの橋の下の河原での時間もとても好きな時間でした。そこで身に付けた「読書と思索」という営みは、その後長らく、私のライフ・ワークであり続けます。
*
ところで、皆さんは「運命」を信じていますか?
私はそれを運命という名で呼ぶかどうかは別にして、「自分の力以上の何か」の存在を認めています。なぜなら、その存在なくしては説明できないような出来事に幾つも遭遇しているからです。そのひとつが、大学に受かったことです。
第三章で述べた通り、私は学校の授業や受験そのものに興味がなくなっていました。勉強をしていないのですから、普通であれば大学なんて受かるはずがありません。さらに付け加えると、私は浪人生活に憧れていました。高校にも大学にも、もちろん塾にも属さない、フリーな状態になってみたかったのです。わざわざここまで読み進めているあなたなら、きっと分かる感覚だと思います。
計画は順調に進んでいるように思えました。センター試験の数学にいたっては、学年で下から2番目という成績でした。前期試験も数学がチンプンカンプンで、きれいに落ちました。残すは後期試験のみです。
ここで、運命が私を襲います。
試験は小論文のみ。センター試験の成績は散々。つまりよほど優れた論文を書き上げない限り、私は晴れて浪人になれたわけです。・・・試験開始の合図とともに、問題を目にした私は愕然としました。ついこの間読んだ本とまったく同じテーマが出題されていたのです。しかも、なぜその本を読んだのか、まったく心当たりがなかったのです。とにかく私は自分の意志や興味に関係なく、その問題に答えるのに充分な知識を手にしていたのです。
「そんなの、白紙を提出すればいいだけじゃないか。」と思うかもしれませんが、それはできません。あくまで自然に?浪人生にならなくてはいけません。自己紹介の冒頭部分に記しましたが、私は基本的には神経質で几帳面で真面目なのです。そんなあからさまな手抜きはできないのです。そんなことをしてしまったら、気持ちよく?浪人できないじゃないですか!
しかも、高校時代に積み重ねた「読書と思索」という営みが知らず知らずのうちに、私の文章力を高めていたらしいのです。自分でも惚れ惚れするくらい素晴らしい小論文を書き上げてしまいました。
ちなみにテーマは「食管法(食糧管理法)の改正」です。
・・・多少は時事的な問題(当時)であったとは言え、あまりに渋すぎます。こんなテーマについて論文を書ける受験生が全国に何人いたでしょうか?しかもその大学とは何の関係もないテーマです。
その大学とは、図書館情報大学(現筑波大学図書館情報学郡)。私が読んだ「食管法」の本は市立図書館で何となく借りたものでした。図書館は私の高校生活の要でした。私のように歪んだ形で図書館に依存していた高校生は多くはないはずです。そして、それこそが私を図書館の専門大学への入学に導くのです。
・・・合格の報を受けたとき、これを「運命」と感じないわけにはいきませんでした。
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私が18年間の人生で学んだことは、「人間が集まるとロクなことがない」ということでした。それはこの自分史には書かれていない無数の経験も含めた、私の人生そのものが弾き出した結論です。もちろん今でも私の価値観の中心であり続けています。
ですから、大学では意識的に人との交わりを避けました。サークルにも入らず、基本的に独りで行動していました。かろうじて友人と呼べる人間が3人いただけです。今になって思えば、これはもうプチこもりそのものですね。
大学で何をしていたかと言いますと、猛烈に公務員試験の勉強を進めていました。1年生のときからですよ?とにかく公共図書館に司書として就職することしか考えていませんでした。そのために大学にいるんだ。それが私の運命、たどるべき道なんだ。本気でそう考えていました。繰り返しになりますが、私は基本的には真面目な人間です。このときは真剣に勉強していました。
・・・その真面目さが祟ったわけではないんでしょうが、次第に雲行きが怪しくなってきます。勉強すればするほどに、図書館で働く気がなくなっていったのです。ここではあまり詳細に触れませんが、図書館を利用するコトと運営するコトはあまりに性質が違いすぎるのです。図書館が好きだからといって、図書館で働くことに向いているわけではないということです。これは「好きなコトと仕事」に関する古くて新しいテーマですから、皆さんも一度は何らかの形でぶつかったことのある問題だと思います。
二年次を修了する頃には、もうこの大学を辞めるしかないと思っていました。図書館で働くことに興味を失った以上ここにいる意味はありません。
ただやはり、そう簡単に割り切って行動に移すことはできませんでした。
ひとつには前述の合格時の経緯があります。あの運命がこんな形で潰えてしまうとは、思いもよらないことでした。もうひとつには、何だかんだ言っても怖かったのです。大学を中退することは一般的なレールからは外れることを意味します。人間嫌いで厭世的な構えをしているくせに、実は人目を気にしてもいるし、社会的な位置を意識してもいるのです。繰り返しになりますが、私には自分が優秀な人間であるという歪んだ自尊心があります。大学中退なんて選択枝は本来ありえないものなのです。神童→生徒会長→超進学校→日本で唯一の図書館情報学専門の単科大学→司書というレールを辿ったほうが、はるかに無難なわけですから。
思考と感情が激しく揺さぶられ続けました。
・・・結局正式に大学を辞めたのは、なんと4年次の3月です。
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ところで、皆さんは「自己分析」をしたことがありますか?あるいは「自分史」を書いたことがありますか?私はこの葛藤期にそれらに取り組んでいます。市販の本の内容ではいまいち自分に合っていない気がしたので、自ら項目を作ってオリジナルの自己分析・自分史を書いています。
いまでも当時のものを保存してあります。もう6〜7年前のものですから、未熟な点も多いのですが、面白いことに、自分の「核(コア)」な部分というのは大して変わっていないんですよ。本当にびっくりするのですが、こんなことが書いてあるんです。
「ホームページで自著電子蔵書を形成する」
つまり自分で作ったコンテンツをホームページに載せて、それで生活していくという考え方を当時すでに持っていたのです。
皆さんにも自己分析と自分史は是非試してみてほしいです。正直、とても面倒くさいのですが、得るものがとても大きいのでオススメです!私がここでこのようなコンテンツを書くことができるのも、当時その作業に没頭したからです。
・・・ただ、市販の本にはあまり良いものがありません。ネットでも同様です。就職やビジネスと結び付いてしまっているものがほとんどですし、当り障りないものしか書けないような指南本ばかりです。近いうちに、自己分析・自分史作成のツールを開発して、ホームページ上で提供しようと思っています。完成したら、このサイトで必ずお報せしますので、ぜひお役立て下さい。
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何とか大学を中退した私は、通信制の大学(放送大学)に3年次編入をします。親とはほぼ絶縁状態になっていたので、アルバイトで生活をしていました。
なぜまた大学に?と思うかもしれませんね。
放送大学は学費が安いうえに、履修した分だけ払えばいいので、アルバイトでも十分に捻出できる金額で在籍できました。そして一番大きかったのは、授業体系が私の趣味・興味と合致していたことです。
司書の夢が潰えた今、特にやりたい仕事なんてありませんでしたが、やりたいコトははっきりしていました。高校時代のあの河原での「読書と思索」の営みです。それを生活の柱にしたかったのです。そして私が読みたいと思う本と考えたいテーマは、すべて人文科学の範疇のものでした。さらに限定すれば哲学・思想でした。放送大学のテキストは書店に並んでいるので、それらに目を通してみると、何の抵抗もなく頭に内容が入ってくるものばかりでした。これなら試験のための勉強という意識ではなく、自分のための勉強として取り組めるし、そのうえで大学卒業の資格も手に入れることもできる。これはイイぞ、と思いました。
そうして3年かけて放送大学を卒業します。私は25歳になっていました。大学に7年間も在籍していたことになります。
周りから見れば単なるモラトリアムにしか映らないでしょう。でも私はただ好きなことをしていただけです。定職に付いていなければロクデナシ、という見方はいまだ根強いようですが、私に言わせてもらえば、好きでもないことをやる方がロクデナシ、です。
例えば、たまにものすごく接客態度の悪い店員に遭遇しませんか?彼らが接客を好きではないことは明らかです。そのせいで客である私達まで嫌な思いをするのです。皆さんも自分や周りの人のことを考えてみて下さい。好きでもないことをしている人は、確実に周りにもマイナスの影響を与えているはずです。
ですから、定職に付いているかどうかはあまり問題ではないと私は考えています。フリーターを非難するより、愚痴ばっかり口にしながら仕事をしている人を問題にした方が賢明だと思います。
翻って、いくら一人でできる仕事だと言っても、もし不満ばかりが募るなら、ネットでの仕事もするべきではないです。それはあなただけでなく、利用者にとっても不幸なことですから。
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ちなみに私はこの3年間で、「読書と思索」というスタイル自体をも卒業することにしました。自分のなかである程度問題が解決してしまったからです。その問題とは何で、その解答はどんなものなのか。それを語るとなると、この自分史の何倍ものボリュームになってしまいますし、「プチこもり」というテーマからも外れてしまうので、割愛させていただきます。どうしても気になる方がいたらメールでリクエストして下さい。要望数が思いの他多ければ、何らかの形で発表したいと思います。
とにかく、高校時代から続いていた「読書と思索」という営みは一段落つきます。以後は気になるテーマや著者の本を断片的に読むだけになります。まあ、普通の読書ですね。以前のような深刻な取り組み方ではなくなったということです。
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このように、もう完全に一般的なレールからは外れてしまっていたので、いまさらイイ会社に就職したいなんて希望はありませんでした。放送大学を卒業してからも、そのままアルバイトを続けたかったのですが、たまたま当時のアルバイト先の人間関係がこじれていたので、卒業を機に辞めました。
学生時代は実に様々なアルバイトを経験しましたが、やはり自分に向いているのは、基本的に一人でできる仕事でした。黙々と作業していれば終業時間なんてあっという間という感じでした。この感覚、皆さんなら分かりますよね?
そこで今度はアウトソーシングの会社に契約社員として入社して、工場の作業員として働いてみました。作業中は良いのですが、やはりヒトが複数いれば人間関係は生じますので、快適とは言いがたい環境でした。ただやはりアルバイト時代より金銭的には恵まれていましたので、貯金というものが出来てきます。
作業職でも人間関係は煩わしい。配達もやったことがありますが、やはり同様です。やはりすべてを一人で行える仕事でなければダメだと考え、お金も貯まってきたので、「独立開業」を目指し始めます。情報誌『アントレ』は毎号読んでました。
とにかく独立すれば俺は人間関係から解放されるんだ、と思い込んでいました。石井貴士さんの『幸せにプチリタイヤする方法』と出会うつい最近まで、そう信じて頑張っていたのです。『アントレ』に載っている情報と『プチリタイヤ』の内容を比べれば、私達のような人間に適しているのは明らかに後者です。例えば300万円投資してコンビニのオーナーになるのと、「Value Domain」で年間3390円払ってホームページを運営するのでは、どちらのリスクが大きいですか?どちらがより一人ですか?
・・・ともかく約2年間にわたって、私は工場で働き、貯金を貯めて独立開業することを夢見て、頑張っていたのです。
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工場で働いて2年が経った頃、なぜだか私はビジネス・マインドにかぶれていました。独立開業するならいつまでも作業職に留まっていてはダメだ。マネジメントを学べる場に自らを置かなくてはならない。一度正社員として就職して現場で勉強するべきだ。・・・愚の骨頂とは正にこのことです。独立開業の情報に触れている間に、本来の「一人でできる仕事」という目的の比重を下げてしまっていたのです。
ここでまた運命?が私にイタズラをします。
たまたま見ていた新聞の折込求人紙で大手チェーン書店の正社員の募集を見たのです。つくば市に新しく出店するので、現地採用で補充をするようでした。以前の私ならこれに応募するようなことはなかったはずです。本は好きだったとはいえ、それと書店を運営することは全くの別物だということを大学で学んでいたわけですし、店舗スタッフ間の人間関係に加え、接客という厄介な仕事があるわけです。普通に自分の歴史を踏まえて考えれば、絶対に関わってはいけないはずの求人情報です。
それなのに、応募してしまったのです。
理由の一つはタイミング的なもので、上記のように私がビジネス・マインドにかぶれていた時期であったこと。
もうひとつは、未練です。実はこれが一番大きかったと、皆さんには正直に白状しておきます。神童→生徒会長→超進学校→日本で唯一の図書館情報学専門の単科大学→書店員という受け入れられやすいレールにもう一度乗れるチャンスが、突如目の前に現れたのです。歪んだ自尊心がまた私に語りかけてきました。全てをチャラにできるぞ、と。全国展開している書店の正社員となれば、故郷の家族にも近所の人たちにも友人にも顔向けができるじゃないか。
そして、何と受かってしまったのです!学歴も中退→通信制大学=7年間大学生で、職歴もアルバイトと契約社員、年齢も27歳ですよ?・・・運命のイタズラと言わざるを得ません。
喜びと後悔がごちゃまぜになって、何とも言えない気分でした。久しぶりに親に連絡をして、採用を告げました。その時は少しほっとしたことを覚えていますが、やはり不安は拭えませんでした。だって、絶対に向いていないんですから・・・。
そして不安は的中します。まったくもって適性がありませんでした。結局9ヶ月で辞めてしまいます。で、現在の無職状態に至ります。
ただ、未練にほだされたこの就職で得たものが二つあります。一つは、仲間です。気の合うスタッフが多かったです。職場の人間とこんなに仲良くなったのは初めてですし、私の人生で今が一番他人との繋がりがあります。これにはかなり驚いています。もう一つは、私を完全に追い詰めてくれたことです。前述の通り、作業職もドライバーも一人でできる仕事ではありません。それで独立開業を目指しましたが、その錯誤には在職中に『プチリタイヤ』が気付かせてくれましたし、本や正社員、無難なレールに対する未練もさすがになくなりました。つまり私に残された道は、ネットで一人で仕事をすることであり、情報起業を成り立たせること以外にないのです。
もう他に逃げ道も抜け道もありません。
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最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。
何かしらあなたの琴線に触れる部分があったなら嬉しく思います。
私は私の歴史を歩んで、いま、これを書いています。
あなたはあなたの歴史を歩んで、いま、これを読んでいます。
これから私達はどんな未来に向かうのでしょうか。
一緒に探しに行きませんか?
そこにあるものを。
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