神童と呼ばれ、生徒会長だった私ですが、
高校では完全に落ちこぼれます。


自分が井の中の蛙であったことを痛感させられたのです。
学区内外の中学校のトップ10くらいの人間が集まる進学校です。


そりゃぁもう凄かった・・・。


何だコイツラっていうくらい周りに優秀な連中がいるわけです。
しかし落ちこぼれたことで、私は楽になりました。


自分が優秀な人間だという幼い頃からの下らない自惚れも、
ここでは感じなくて済みましたし、
人の上に立つようなこともなくなったので、
ストレスもなくなりました。


友人や担任にも恵まれて、
人間嫌いの私でも随分心地よく学校生活を送ることができました。


それなのに、登校拒否になります。


理由はきっと幾つかあるのでしょうが、
私が一番悩んでいたのは「勉強する意味」だったように記憶しています。


うちの学校は大学進学率が100%です。
ですから周りは何の疑いもなく受験に意識が向っています。


でも私はそれが引っかかって仕方がなかった。


たぶん高校に入学するまでは
意識して勉強したことがなかったせいかもしれません。
試験のためだけに時間を割くという感覚が
私の中には育っていなかったのです。


一度考え出すと、どんどん深みに嵌っていきました。


なんで紀元前のヨーロッパの勢力図を頭に入れなきゃならないのか?
化学式が私の悩みを解決してくれるのか?
微分積分なんて、私の人生にまったくもって必要ない!


というような勉強自体への批判からはじまって、
イイ大学→イイ会社→イイ家庭という決まりきったレールに対する疑問、
そして人生って何なんだ?
という究極の問い。


とにかく色んなことが頭を駆け巡って、
高校なんてどうでもよくなってしまったのです。


学校の授業が私の疑問に応えてくれないということだけは、
分かっていましたから。


そこで当時の私は
読書と思索(なんて言える程のシロモノではありませんでしたが)に耽るようになりました。


朝、「いってきます」と学ランを着て普通に家を出るのですが、
学校には行きません。


そのまま市立図書館に向かいます。


そこで借りた本を持って向かう先は、とある河原に架かる橋の下です。
そこで本を読み、考える。
そんな日々でした。


調子が良いときは普通に学校に通えるのですが、
不定期に発作のように登校拒否症状が出ました。


私の場合はお腹が痛くなりました。


学校には連絡することもあれば、
無断で休んだり、
遅刻・早退をしたりすることもありました。


私にとって幸いだったのは、
担任がなぜか親に連絡をしなかったことです。


そして親も通信簿を見なかったため、
欠席・早退・遅刻の数を知らなかったこと。


もし両者が私を問い詰めてきていたら、「確実に」私は自殺していました。


これは当時も自覚してましたし、
今振り返ってみても確信があります。


ただ、今だからこそ気付くこともあります。
たぶん、担任も親も、私のそんな精神状態に感付いていて、
あえて触れなかったのではないか。


・・・これは今だに謎のままですが、そう考えないとオカシイです。


自殺なんて言葉を使ってしまったので、
ツライ高校生活だったように思われてしまうかもしれませんが、
前述の通り、基本的にはストレスや歪んだ自尊心から解放されて、
友人にも恵まれた、楽しい青春だったんです。


あの橋の下の河原での時間もとても好きな時間でした。


そこで身に付けた「読書と思索」という営みは、
その後長らく、私のライフワークであり続けます。


ところで、皆さんは「運命」を信じていますか?


私はそれを運命という名で呼ぶかどうかは別にして、
「自分の力以上の何か」の存在を認めています。


なぜなら、
その存在なくしては説明できないような出来事に
幾つも遭遇しているからです。


そのひとつが、大学に受かったことです。


先に述べた通り、
私は学校の授業や受験そのものに興味がなくなっていました。
勉強をしていないのですから、
普通であれば大学なんて受かるはずがありません。


さらに付け加えると、
私は浪人生活に憧れていました。
高校にも大学にも、もちろん塾にも属さない、
フリーな状態になってみたかったのです。


わざわざここまで読み進めているあなたなら、
きっと分かる感覚だと思います。


計画は順調に進んでいるように思えました。


センター試験の数学にいたっては、
学年で下から2番目という成績でした。


前期試験も数学がチンプンカンプンで、きれいに落ちました。
残すは後期試験のみです。


ここで、運命が私を襲います。


試験は小論文のみで、センター試験の成績は散々。
つまり、よほど優れた論文を書き上げない限り、
私は晴れて浪人になれたわけです。


・・・試験開始の合図とともに、問題を目にした私は愕然としました。


ついこの間読んだ本とまったく同じテーマが出題されていたのです。
しかも、なぜその本を読んだのか、
まったく心当たりがなかったのです。


とにかく私は自分の意志や興味に関係なく、
その問題に答えるのに充分な知識を手にしていたのです。


「そんなの、白紙を提出すればいいだけじゃないか。」


と思うかもしれませんが、それはできません。
あくまで自然に?浪人生にならなくてはいけません。


私は優等生気質で、
基本的には神経質で几帳面で真面目なのです。
正義感も強い。


だから、あからさまな手抜きはできないのです。
そんなことをしてしまったら、気持ちよく?浪人できないじゃないですか!


しかも、高校時代に積み重ねた
「読書と思索」という営みが知らず知らずのうちに、
私の文章力を高めていたらしいのです。


自分でも惚れ惚れするくらい、素晴らしい小論文を書き上げてしまいました。


ちなみにテーマは「食管法(食糧管理法)の改正」です。


・・・多少は時事的な問題(当時)であったとは言え、あまりに渋すぎます。
こんなテーマについて論文を書ける受験生が
全国に何人いたでしょうか?
しかもその大学とは何の関係もないテーマです。


その大学とは、図書館情報大学(現筑波大学図書館情報学郡)。


私が読んだ「食管法」の本は市立図書館で何となく借りたものでした。
図書館は私の高校生活の要でした。


私のように歪んだ形で図書館に依存していた高校生は多くはないはずです。
そして、それこそが私を図書館の専門大学への入学に導くのです。


・・・合格の報を受けたとき、これを「運命」と感じないわけにはいきませんでした。